園長

【2023年10月】言葉で考え言葉で伝える

どうしてそれがわかるのでしょう。秋のお彼岸の到来をぴたりと当てるように花を咲かせる「彼岸花」
今年も彼岸休みに訪ねた信州の畑の畔に見事に咲き揃ったその花を見ました。
彼岸花を見ると私がふと思い出すのは、教科書でもお馴染みの「ごんぎつね」の物語です。
この物語ではストーリーの行間に描かれた短い風景描写が映画のインサートカットのように鮮やかな色彩の印象を残します。
「墓地には、彼岸花が赤いきれのように咲き続いていました。と…葬列は墓地に入ってきました。人々が通った後には彼岸花が踏み折られていました…」 (「ごんぎつね」新美南吉より)
兵十(ひょうじゅう)の母親の葬式の場面です。一面の赤い彼岸花の中に1本の道筋を残して通り過ぎた葬列。
ごんの目を通したその光景が読み手である私達の脳裏にもくっきりと浮かぶ印象的な場面です。
この後、ごんは兵十の母親の死を自分の責任と思い込み、償いを始めます。
最初は鰯屋から盗んだ鰯を、それはまずいと知ってからは山で拾った栗を「次の日も、またその次の日も兵十のうちへ持ってきて」やるのでした。
しかし、ごんの兵十への一方的な思いは兵十に通じることはなく、物語はご存知のように悲劇的な結末を迎えます。
授業でこの結末について子ども達と話し合う時、必ず出たのが「ごんが人間の言葉を話せればよかったのに」という意見と、「兵十はもっと自分でいろんなことをしっかり調べてよく考えてから行動すればよかったのに」という2つの意見です。
物語の中では、ごんは「人間の言葉を解するものの話すことはできない」という設定です。
もし両者が「言葉」を駆使して交流することができていたらこのような悲劇は起こらなかった。
その通りだと思います。研究者によれば作者新見南吉は他家に預けられて恵まれない幼少期を過ごし、その時の思いがこの作品に反映されているのだとも言います。

言葉は「コミュニケーションの道具」であると同時にもう一つ「思考の道具」であるという側面があります。
人間は言葉を使うことでものごとを論理的に判断することができるし、それを的確に伝え合うことができる生き物です。
言葉は時に人を傷つけたり、トラブルの元になることもありますが、だからと言って言葉を避けて生きていくことはできません。
幼い頃から様々な場面で言葉を使い、言葉を磨く。このことを子ども達の生活の中で常に大切にしていきたいと思うのです。

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